姿勢のチェックとして、背中を壁に付けて立つ方法がよく紹介されます。
踵や背中や頭と、壁との間に隙間がない状態が良いとされています。
実際に、その時の重心の位置を観察すると、踵に乗っていることが分かります。
壁に触れている時はまだしも、その姿勢のまま立つと、ふくらはぎの筋肉は縮み、後ろに倒れないように脚の前側が緊張します。
そこから歩こうとすれば、重心を前に持っていくために前足底で地面を蹴って進むしかありません。
立ったり歩いたりと言った日常の動作で緊張状態が続くと、それだけ身体の負担は増えます。
筋力に頼らずにバランスで歩くためには、歩く前の姿勢が大切になります。
股関節の重心のラインが踵の前に落ちる位置にあると、骨盤の傾きによって脚の前が伸びたり後ろが伸びたりします。
骨盤がニュートラルなポジションでは、どちらにも揺らぐことか出来る不安定なバランスがあります。
揺らぎの範囲から外れた姿勢で立っていると、筋が緊張して安定させようとします。
不安定なバランスだからこそ余分な力が抜け、どちらにでも動くことが出来ます。
その時、両足を揃えていると、左右の土踏まずを上面とする球体の空間を感じられます。
球体を風船の様にイメージし、その中心を意識すると、息を吸った時に膨らんだり、吐いたときに縮んだり感覚が得られます。
その球をなぞるように動くと、足底の感覚を損ねること無く、重心を移すことが出来ます。
歩くときは、前方への重心の偏りが高まって次の一歩が踏み出されます。
肚の傾きで、歩くスピードや距離感がコントロールされます。
一滴の水から波紋が広がるように、中心で起きた僅かなバランスの変化も、身体の端々に動きを生み出します。
行き先を邪魔せず自由に動けるように、身体を弛めておくことが大切になります。
重心の位置は、物事に向き合う心持ちにも影響を与えます。
腰が引けることも前のめりになることも無く、楽な姿勢で過ごしていきたいものです。
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八月の中旬に、うっかりドアに指を挟んで、左手の小指の先を痛めてしまいました。
数日経つと、爪の下の出血で小指の爪が真っ黒になって剥がれました。
その後の治り方が、想像していたのと違ったので驚きました。
根元から順に爪が回復してくるものだと思っていたら、爪の部分にある皮膚が少しずつ硬化して先に土台が出来ました。
爪床(そうしょう)と言うらしく、その上を覆うように爪が伸びていきました。
爪が皮膚の一部だということは知識として知っていたものの、実際に治っていく過程を目で見て、その仕組みに感心しました。
怪我をした時は元通りに治るか心配しましたが、痛みは最初の数日で治まり、爪も綺麗に生えてくれました。
身体って本当によく出来ていますね。
回復してくれた身体に感謝すると共に、迷惑を掛けないように気を付けていきたいと思いました。
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私の実家は、京都府の山村にあります。
村の姿を見ると、自然の在りように合わせて生活が営まれていることが分かります。
山には陽の当たりやすい側と当たりにくい側があり、川は高いところから低い所へ流れ、逆になることはありません。
それに沿って、道ができ、家が建てられ、田んぼや畑が作られています。
私が学生の頃、台風の影響で下流の川が氾濫したため、実家の近くの川を整備する計画が進められました。
大型車両が出入りするために山が切り開かれ、川岸をコンクリートで覆う護岸工事が行われ、上流にはダムが造られました。
身近な自然が人の手で造り変えられていく様子を見るのは、胸が痛みました。
自然災害で川が乱れ山が崩れても、形を変えて自然は生き続けます。
しかし、人工的にコンクリートで固めてしまうと、そこに生えていた草や住んでいた生き物が戻ることはありません。
水量の少ない小川に、それほど大掛かりな工事が本当に必要だったのか、今でも疑問に感じます。
関節の手術をされたレントゲンを見ると、その時とよく似た感情を抱くことがあります。
実際に、私が整形外科で診せて頂いていた患者さんが膝の手術をされることが決まったときは、自分の力不足を痛感し、治療が上手くなりたいと心から思いました。
もちろん、大きな怪我をされたり関節の変形が進んでいたりと、手術が必要な場合もあるのだと思います。
立っていられないほど辛い膝の痛みから自由に歩けるようになるなど、手術で助けられた方も沢山おられます。
けれども、動作の制限が強かったり、別の場所に痛みが出たり、術後の相談を受けることも良くあります。
手術に依らない保存療法で改善するケースも多々あり、その方が身体の負担が少ないことは間違いありません。
そして、それ以前に傷めないように普段の身体の使い方を変えていくことの大切さを実感しています。
自然に治したいという方の希望に応えられるように、健康について学び続けていきたいと思っています。
O
実家は、見えている山の向こう側にあります
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身の回りを見渡してみると、本物に似せて作られたものが沢山あることに気付きます。
テレビにはあちこちの風景が映り、スマートフォンで音楽を聴くことができ、スーパーには味や香りが付けられた食べ物が売られています。
実際の景色や、音や、味や匂いに触れたときの感覚とは大きな差があります。
同じ楽しむのでも、本物を知っているかどうかで、受け取る深さが違うように思います。
子供には、なるべく本物の自然を体験して欲しいと思っています。
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藤井棋聖が最年少でタイトルを獲得し、テレビでもネットでも将棋に関する話題をよく見かけます。
そもそも遊びである将棋や囲碁が、職業として成り立ち、これほどテレビで注目されることは、不思議にも思えます。
スポーツ観戦と同じように達人同士の対局を観ること自体の楽しさもありますが、そこにはゲームの世界の中だけで収まらない深みがあるからだと思います。
将棋も囲碁もルールはシンプルですが、長い間の試行錯誤によって、先手と後手のバランスが拮抗し、複雑な駆け引きが生まれました。
人の持つ能力の限界を極めると、どんなジャンルにも共通する奥深さが出来てくるのではないかと思います。
今年の4月頃、コロナウィルスの影響でNHK杯の対局が出来なくなっていたため、過去の名局が再放送されていました。
1988年当時、羽生さんの勢いは凄く、若手ながら当時のトップ棋士を相手に次々と勝ち進んでいきます。
そのときの羽生さんと加藤一二三さんの対局の中で、解説の米長邦雄さんが興味深いことを言っていました。
歳を取った棋士の方が将棋に掛けてきた時間は長いはずなのに、他の棋士と羽生さんは何が違うかという話で、それは「目」だと言っておられました。
その頃の羽生さんは、最近の雰囲気とは全く違い、盤面を鋭く睨みつけるように集中して観ておられました。
面白いのは、棋士は頭の中の盤や駒で先を読むため、実際に盤面を見ていなくても、対局できると言うことです。
盤面を真剣に見つめて指すことには、視覚によって情報を得るためではなく、対象に向かう集中力や思考の深さが表れているのだと思います。
年月を重ねる中で、羽生さんの対局中の目の使い方も、広く柔らかく変わっていったように思います。
藤井さんは、深く静かに見通しておられるようで、内面が外に表れにくいタイプだと思います。
棋士によって、俯いたり、斜め上を見たり、熟考しているときの目線だけでもそれぞれ個性があります。
合気の稽古でも、目の使い方の重要性を学びます。
それは、身体の向かう方向性や意識の集中の密度と深く関係しています。
向き合って相手の首の辺りを見ていたとしても、視点の奥行きをどこに置くかで力の伝わり方が全く変わってしまうことを経験します。
呼吸によって空気が出入りするのと同様に、目からも力が出入りする流れが生じます。
力を抜いて目を入り口にすることで、相手の力を自分の中へ落とし込む流れが起こります。
中心からの力が出口で止まらず、相手の身体の実体の向こう側まで見通していくことで、技が掛かります。
視覚によって情報を得ようとする働きは、そうした力の流れを妨げます。
一点への集中力を高めながらも、全体をぼんやり観ることを両立する重要性を学びます。
相手の実体を、目の見ようとする働きによって動くのではなく、身体に伝わってくる感覚を受け取ることで反応できるように稽古しています。
目に限らず、身体のそれぞれの場所に思っていた働きと異なる役割が備わっていることが沢山あります。
様々な体験を通じて、身体の奥深さを学んでいきたいと思います。
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8月15日、16日はお休みさせて頂きます。
よろしくお願いします。
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武術は、心身の鍛錬だとよく言われます。
つらい稽古を乗り越えていく中で、心や体が鍛えられるというようなイメージを持つ方もおられるかも知れません。
私は、稽古をつらいと思ったことは無いので、そうした印象は持っていません。
師匠に合気を掛けて頂いたとき、それまでに経験してきた押し合いとは全く違う力に出会います。
押そうにも押せず、いつの間にかバランスを崩されて、投げ飛ばされます。
そのような現象が起こるということに驚きや不思議さを感じ、自分もそうした技を身に付けたいと思います。
そのためには、まず頭の切り替えを迫られます。
今まで慣れ親しんできた力の使い方を辞め、新たな発想で動作を見直す必要が生じます。
しかし、いざ自分で技を掛けようとすると、力を抜く、呼吸で動く、ということが、いかにも頼りなく思えます。
今までと同じ使い方をしても何も変わらないので、とりあえず真似をして動いてみます。
師匠や先輩方の御指導を通じて、条件が整えば、そのほうが楽に力が伝わることを経験します。
けれども、自分の姿勢が変わったり、相手の押し方が変わったりすると、また緊張して元の動きに戻ります。
道場の中だけでなく、生活や仕事を通じて、稽古で得た感覚を取り入れていきます。
そうした沢山の積み重ねを通して、頼りなく感じていた新たな力の出どころに対する信頼が少しずつ育ってきます。
稽古を続ける過程で、呼吸や動作が変わり、実力が付いてくるという側面もあります。
それに加えて、年月の間に積み重ねてきた自覚によってもたらされる力も大きいように思います。
自分が日々をどのように過ごしてきたかは、自分が一番よく分かります。
それは、いくら上手に指導されても、短期間の鍛錬では得られないものだと思います。
どんな状況でも技を掛けられるという心持ちは、どのような患者さんが来られても対応できるという安定感に繋がっていくのではないかと考えます。
十年以上、稽古を継続してこられた理由の根っこにあるのは、合気を通じて体験する身体の奥深さだと思います。
まだまだ分からないことだらけですが、自分が十年前より成長できたということは確信を持って言えます。
そうした方向に導いてくださっている師匠に、心より感謝しています。
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「相手の呼吸を読む」というと、格闘技や演芸など特別な世界での話のように感じるかも知れませんが、そうとも限りません。
日常のコミュニケーションでも、相手の呼吸を感じているものです。
呼吸の流れを受け取り、話し始める前や話し終わる前からそのことが伝わっています。
そうした実際に声として現れている言葉以外にも通じるものがあって、お互いの間が生まれます。
コロナウィルスの影響で、テレビでもリモート参加で進める番組が増えましたが、どこか息が合っていないような場面をよく見かけます。
リアルタイムで相手の声が聞こえ、姿が見えたとしても、実際に同じ場に居るのとは大きな隔たりがあることが際立ちます。
こういう時だからこそ、一緒に集まって時間を共有できることの有り難みを実感しますね。
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先週末は、実家で農作業の手伝いをしてきました。
私の実家の田植えは、機械を使わず、全て手で苗を植えています。
前傾姿勢のまま、泥の中を歩いて作業するのは、なかなか大変です。
以前は次の日に、腰が痛くなったり、脚が筋肉痛になったりすることもありました。
ここ数年は、腰を入れて、足運びを意識するようになり、そうしたことも無くなりました。
調子良く動けると、動作にテンポが生まれて、作業の効率も上がります。
必ずしも若いときの方が健康とも限りません。
身体の使い方を見直す習慣をつけるということは、本当に大事だと思います。
O
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川を悠々と渡っているように見える鴨も、水面下では脚を動かしています。
活動を支えているのは、外から見えない部分の働きだったりします。
人の動作においても、同じことが言えます。
手先だけで動いたり、前側しか意識がなかったり、表層の筋肉ばかりを使ったりしてしまうことがよくあります。
手に対して脚が、前に対して背中側が、表に対して深部が、水面下に当たります。
広く、深く、伸び伸びと、体を活かしていきたいものです。
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