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PONOブログ

‘合気’

合気と感覚 その3

   2019年08月30日

 

多くの治療法は、その理論や技法に合わせて身体を使います。
編み出された先生にとってはベストな方法であっても、身体も感覚も違うため、同じことは出来ません。
場合によっては、施術をする度に自分の身体に負担を掛けてしまっていることもあります。
いくつもの治療法を使い分けようとすると、自分の中で統合していくことが、ますます困難になります。

センタリング・メソッドでは、合気がそのまま治療に使えることを教えて頂いています。
一般的には武術と治療は表裏一体という表現で語られることが多いですが、対比という印象はありません。
相手の中心を崩すか崩さないかの違いだけで、繋がりを誘導するという面で完全に共通しています。
自分のバランスを中心に近付けることで、相手を中心からずらして転ばせることも、中心に導いて整えることも出来るようになります。
自身の感性を磨くことが、患者さんを診る目を養い、施術の技術を高めることに直結します。
施術に合わせて身体を変えるのでは無く、自然な動作を身に付けることで、自ら治療を生み出せる身体を目標としています。

街中で集まって見える見えないと議論している星が、山から空を見上げると、いとも簡単に見えたりします。
医療の現場でも、そうした場面によく遭遇します。
自分の立ち位置が変われば、見える世界も変わります。
外から入ってくる情報を拠り所にするのではなく、感覚を元に外の世界を観るように立場を移します。
日々のどのような活動も、感覚の訓練の場とすることで、自分を健康に導くトレーニングや体操になり得ます。
感覚を信用できることは、そのまま自分への信頼に繋がります。
それは、身体の健康だけに留まらず、人生にも通じる転換になると考えています。


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合気と感覚 その2

   2019年08月27日

 

稽古で組み合うと、相手に技を掛けようとする欲が動作に表れます。
その途端に身体が緊張して動きが止まります。
そうしたときも、最初から相手に働き掛けようとするのでは無く、まず自分の身体の状態に目を向けます。
姿勢を正したり、肩の力を抜いたり、全体に意識を広げたりすることで、楽に技が掛かることを体験します。
合気では、自分の身体の状態が、相手に反映されて技になります。
したがって、技が掛からない原因は、相手ではなく、自分にあります。
稽古では、身体の緊張や重心の掛かり方、意識の広がり、心の持ちようなど、自分の現状を感じ取ることを重要視します。
緊張を感じられなければ力を抜くことが出来ず、意識が届いていない場所は認識することが出来ません。
自分の身体の感覚が及んでいる分だけ、相手の状態を感じられるようになります。

相手と向き合うことで感覚が磨かれるという点では、どのようなスポーツも同様だと思います。
ただ、スポーツには勝ち負けというハッキリした目標があるため、意識が外に向きやすいという側面があります。
合気の稽古でも技が掛かる、掛からないという結果は表れますが、それは目的ではありません。
技を掛けられる側も、力の通り道を作ってあげることが、自分の感覚の向上に繋がります。
稽古は、投げた投げられた、勝った負けたを競うものではなく、お互いが感覚を高め合っていく関係にあります。

何かの匂いに反応しても時間が経つと印象が薄れていくように、同じ刺激に対して感覚は順応して鈍くなります。
きれいに身体が繋がって動けたとしても、同じ経路を通そうとすると、感覚ではなく思考が先行して別の動きになります。
それと同様に、日々の行動も同じだと決めつけて同じことを繰り返していると、感覚が磨かれることはありません。
常に条件は変化しており、その違いを味わいながら、発想を固めずに取り組む姿勢が大切になります。
一つの原理から派生した枝は、どこから切り取っても幹に辿り着きます。
毎回、テーマや切り口を変えて、合気の稽古を付けてくださっています。




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合気と感覚 その1

   2019年08月23日

 

テレビをつけると、いくつものチャンネルで健康番組が放送されていることがあります。
本屋に行くと、体操やトレーニングの本だけでも、たくさんの種類があります。
情報が多すぎて、どれを信じたら良いのか分からないという話を聞くことがあります。

どんな健康法も、伝えている本人にとっては効果があったとしても、それが万人に当てはまるわけではありません。
一人一人、生まれ持った身体が違えば、生活の環境も違います。
そして、自分の身体も日々変化しています。
さらに、同じ運動を同じように教えられたからといって、同じ動きが出来ているとは限りません。
そうした一般化できないものを、形として伝えようとすると、どこかに無理が生じます。

各々に個性があっても、身体には共通する理に適った使い方があります。
合気の稽古では、そうした働きが自然に起こるような身体を目指します。
稽古を通して合気を掛けてもらう中で、様々な感覚を得られます。
腕を持たせてもらうと、脱力と共に緊張が溶けていったり、吸気と共に身体が包まれて浮き上がったり、伸びと共に力が駆け抜けたり、落下と共に突然に掴んでいる実感を見失ったりします。
微かに触れられるだけで、変化が全身に伝わってバランスが崩れたりします。
それは、単なる接触とは全くの別物です。
そのような現象が起こると言うことを実際に体感すると、新しい感覚や発想が呼び起こされ、それが自分の姿勢や動作を見直していく上での指針となります。
稽古で技を掛けるときも、形を真似するのでは無く、そうした体感を元に自分の身体の使い方や相手への力の伝わり方を検証します。


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時間と感覚 その2

   2019年08月03日

 

刀を振り上げるとき、丹田からの伸びを伝えることによって腕を上げていきます。
振り下ろすときは、力を抜いて重力による落下に任せ、刀に丹田の重みを乗せます。
待つときは、いつでも相手の中心に最速で刀を下ろせる状態で、刀を構えます。

丹田の動きが手に伝わるまでの間には、時間差があります。
したがって、手が動くより先に、丹田は手が向かう方向を知っていることになります。
そして、相手に向かう意識はそれよりも更に前から働いています。
相手が外見上の動きを認識したとき、すでに意識は通り、丹田の動きが始まっていることになります。
お互いの間の時間差が開いているほど、状況に応じて臨機応変に対応する余裕が生まれます。
相手が振り下ろした太刀筋を避けたり、隙が生じた点を狙ったり出来ます。
一瞬が勝敗を分けるであろう真剣勝負において、その差はとても大きなものだろうと想像できます。

楽しいことをしているときは時間の流れを早く感じ、退屈なときに遅く感じることは、誰しも経験します。
時間のペースはみんな平等だと考えられていますが、時間の感覚や流れへの乗り方は人によって違うように思います。
それは、その時々の心身の在り方に左右されます。
心身の緊張が弛み、丹田に落ち着いていると、いつでもどちらにでも動けます。
そうした余裕は、生活においても大切なのだと思います。
季節の移ろいも、人の行動も、心身の健康も、変化が外に表れる前に、そちらへと導く背景があるように感じます。
そうした動きを受け取り、臨機応変に対応できるバランスに居られるように、稽古を続けていきたいと思っています。


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時間と感覚 その1

   2019年08月01日

 

剣術の稽古で、お互いに同じ構えを取り、相手が動き始めるのを見てから動いて競り勝つという技を学びます。
後から下ろした方が、相手の刀の上を取り、有利な立場になるということを不思議に感じていました。

稽古では、身体の様々な部位に意識を移しながら自分の姿勢や動作を観察します。
逆説的になりますが、「股関節を動かそう」とすると、股関節の動きが鈍くなります。
筋を収縮させて一方向に関節を動かすと、動作を続けるために、その筋肉を弛緩させる必要が生じます。
何か動作をするときには一つの関節だけで無く、たくさんの関節が多方向に連続して動きます。
つまり、動かそうとする場所が多いほど、動作を遂行するまでのロスが増えます。

さらに、どこかに意識が集中しているとき、全体としての連動が途切れ、視野が狭くなります。
合気の稽古では、丹田で動くというシンプルな方向を目指して身体を創っています。
股関節も動作の起点では無く、丹田から伝わる力の通り道になります。
全身に意識が行き届きながらも、丹田の動きが損なわれること無く伝わるバランスを目標としています。

丹田の動きは、関節から関節に伝わるのではなく、身体の内側を通っていきます。
動作が大きくても小さくても、早くてもゆっくりでも、自在に力を伝達するためには、繋がりの正確さが要求されます。
アニメのフレーム数が増えるとキャラクターの動きが滑らかに見えるように、末端までの経路を途切れることなく通す必要があります。
身体の動きは常に脳にフィードバックされており、動作の密度は感覚の繊細さと比例します。
同じ一秒でも、伝えられる変化の細やかさや、入ってくる情報の量には個人差があります。



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重さと感覚 その2

   2019年07月13日

 

合気では、自分の状態を相手に反映させて技を掛けます。
下から上に浮き上がっていく変化が伝わると、相手の身体が軽くなって浮きます。
投げたボールが頂点で落下していくように、自分の重みを落とすことで、落差を付けて相手のバランスを崩します。
そうした重心のコントロールには、呼吸が重要な役割を果たします。
息を吸うと浮いて軽くなり、吐くと沈んで重くなります。
呼吸に伴う浮き沈みを自由に伝えるためには、余分な力を抜く必要があります。
バランスの崩れや身体の緊張によって、呼吸に伴う浮きが止まったり、重力による落下が妨げられたりします。
浮かすことも落とすことも自在に出来る身体を目指して、合気の稽古をしています。

現代は、感覚は曖昧で当てにならない、数値化できるものが正確だ、という風潮があります。
けれども、一日を振り返ってみると、どれだけ私たちが数値化できない根拠を元に動いているかが分かります。
気分や好み、雰囲気や印象といった人それぞれの基準が、行動を決める上で大きなウェイトを占めています。
数字という概念自体が、人間が頭で作り出したものだということを考えれば、当たり前の話とも言えます。
きっと、数値として表される事物は現実のごく一部で、その向こう側には感覚でしか捉えられない世界が広がっているのでしょう。

体重計の数字も気になりますが、もっと大切なのは、自分の身体をどう感じているかだと思います。
自分の感覚を拠り所に、より楽に心地良く過ごせる方向を辿れば、自然に健康へ向かっていくものと考えます。
お客様から受け取る感覚を大事にしながら、施術に向き合っていきたいと思います。




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重さと感覚 その1

   2019年07月11日

 

合気の稽古では、色々と固定概念が変わる体験をします。
相手の身体に後ろから腕を回して抱え上げた所から、崩される技があります。
合気が掛かると、相手の身体が急に重くなったようで支えられなくなり、自分だけが転んでしまいます。
腕を掴まれていて、相手を重く感じ全く動かせないときもあれば、軽く動いただけで投げられるときもあります。
正座していて、相手に突かれて簡単に転んでしまうこともあれば、力一杯押されても安定した心持ちでいられるときもあります。

一瞬の間に体重は変わらないので、それらは数値化できる重さではなく、性質としての重さと言えます。
私たちは、そうした現象を、知らず知らずの内に体験しています。
抱っこしている赤ちゃんが眠りにつくと、重くなったように感じることがあります。
気持ちが落ち込んでいるときは体が重くなり、楽しいことをしているときは軽く感じます。
それらは決して気のせいではありません。
施術で腕や脚を持ち上げてみて、左右どちらかを重く感じるとき、多くは御本人の実感と一致します。
重さだけではなく、堅い・柔らかい、熱い・冷たい、暗い・明るい、といった感覚も同様です。
自分がどう感じるかは主観ですが、それは相手と共有できる客観性も持ち合わせています。



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中心とは その3

   2019年07月04日

 

理にかなった動作は、合気の技を掛けるときだけでなく、日常においても共通します。
施術の際は、そうした使い方を元に生活でのアドバイスさせて頂いています。

生まれ持った身体も歩んできた人生も違えば、当然、身体の使い方も違います。 自分が何年も掛けて出来るようになったことが、他の誰かにとっては当たり前の場合もあります。
反対に、自分が自然に出来ていることが、他の誰かにとってはとても困難な場合もあります。
少なくとも、何の偏りもなく、ずっと自然体のまま生きている人はいないのだと思います。

私たちは成長と共に周りの人達や環境から影響を受け、様々な知識や癖を身に付けていきます。
何らかの目的に向かって進んでいくとき、自分自身を見直す切っ掛けが生まれ、それらを取捨選択していく作業が必要になります。
そうして自分の偏りを中央に寄せていく中で、中心が出来てくるのだと思います。
その過程では、それまでに経験したどんなことも、決して無駄にはならないことを感じます。
余分な体験が多いほど、自分がどちらに傾いているかを判別する手掛かりが増えます。

それは、自分だけの為に作られたパズルのようなものかも知れません。
今までの人生の全てが関わって、そのパズルが形作られます。
誰かの解答を見ることは、解く道筋の参考になっても、自分の答えは自分で探すしかないのだと思います。
パズルを解いていく過程は、それ自体が喜びに満ちたものです。
そうした喜びに気付いてもらえるような施術を目指していきたいと思っています。


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中心とは その2

   2019年06月21日

 

私達は、一人で完結しているわけではなく、常に外界や他者との関わり合いの中で生きています。
合気の稽古を通して、いかに他者とぶつからずに関わるかを学びます。
相手に手首を押さえられると手首に、腕を掴まれると腕に、力が入ってしまうことを自覚します。
そして、力で対抗しようとしてもどうしようもない状況を体験し、力を抜くことの大切さを知ります。
相手と接している場所で直接戦わなくても、動ける場所はたくさんあることに気付きます。
身体の表層を押さえ付けられたとしても、深層は自由に動かすことが出来ます。
自分の内面に意識を向け、今まで使えていなかった場所を発見していきます。
そして、余分な動きを減らしていくことで、次第に動作の幅が細くなっていきます。
脚の内側や骨盤の隙間や体幹の中央を力が通り、中心の動きが指先まで伝わります。

相手に触れたり、道具を持ったりすると、自分のバランスも変わり、全体としての中心が生まれます。
いくら動かそうとしても動かなかったものが、自分を通り道として両者の中心から動かせると、驚くほど楽に相手を転ばせられることを体験します。
相手や状況がどのように変わっても、中心をもって対応できる身体を創っていくために、稽古に参加しています。

そうした中心の感覚や身体の繋がりは、自得していくしか無いことを実感します。
稽古では毎回、注目する切り口や用いる道具が異なり、視点を変えながら取り組みます。
技を掛けているとき、力が入って固まっている場所や、意識が薄く働いていない場所に、手を加えてくださいます。
そうした様々な観点は、原理から派生して結果的に生まれるのであって、身体のベースは自分以外の誰にも創ることは出来ません。
自分が体感して初めて、師匠が、体験として、言葉として、文章として、錬功法として、あらゆる方法をもって伝えてくださっていたことに気付きます。




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中心とは その1

   2019年06月19日

 

どんな形状のものにも、バランスが取れる中心が一点あります。
ボールのような単純な形だと中心のイメージがしやすいですが、身体のように複雑な構造にも、それは当てはまります。
皮膚や筋や骨や内臓といった様々な組織を、形や重さや固さなど異なる性質を、全部含めたバランスです。
身体は、骨や筋で支えているのではなく、中心の動きに全体が自由に付いていく状態にあって初めて、釣り合いが取れます。

けれども、私達は日々の生活の中で、そうした釣り合いとは無関係な行動を積み重ね、身体をあちこち固めてしまっています。
その結果、身体の中心が、本来の位置からずれてしまいます。
「バランスを整える」ということは、現状の中心を本来の中心に一致させることだと考えます。
バランスの中心とは、体の釣り合いだけを指すのではなく、心の中心、呼吸の中心といった意味合いも含みます。

センタリング呼吸法』は、前後・左右・上下の振れ幅を中央に寄せていくことで、中心に近付けていきます。
心身の緊張が弛んで自然の流れに逆らわずに導かれていくとき、バランスは中心に納まっていきます。
それは、固定した一点ではなく、心身の移ろいや呼吸の行き来と共に、緊張したり弛緩したり、広がったり集まったり、変化し続けています。


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