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PONOブログ

‘合気’

合気と施術 その3

   2021年02月05日

 

私が資格を取って最初に勤めた接骨院では、筋の緊張をソフトな刺激で弛めるマイオセラピーを中心に施術を行なっていました。
仕事を通して、体表から触れられる筋の走行や作用を学び、弛め方を覚えていきます。
症状と関連が深い筋の緊張を弛めると、痛みや痺れが改善する方もたくさんおられます。
けれど、施術で症状はある程度まで改善するものの、「奥の方にまだ痛みを感じる」とか、「痛みは取れたけど違和感が残っている」といった方も出てきます。
外から触れられない筋はどのようにアプローチするのか、違和感はどうすれば改善するのか、よく分からないまま整形外科に勤めるようになります。
手技の幅を広げることで解決方法が見つかるかと思い、鍼を痛みと関連する場所に刺入するトリガーポイントや、関節を動かすモビリゼーションなどを勉強しました。
東洋医学の古典をベースにした鍼灸治療の勉強会にも通い、そうした治療法と並行して行なっていました。

合気の稽古に通い始めてから、治療の方法を学ぶだけで、自分の身体に目を向けていなかったことに気付きます。
合気を掛けられることで身体の繋がりを体感し、それまで知識として知っていた経絡が生きた感覚になります。
そして、治療に臨む以前に、自分の心身のバランスがいかに大切かを学びます。
バランスが取れた状態とは、どこにも依存していないことです。
例えば、立っているときに脚の筋肉に依存して支えていると、身体の自由度が減少します。
依存している場所が少ないほど自由に動くことができ、中心が定まります。
中心の少しの動きで末端には大きな変化が起こり、一カ所のバランスが変わることで全体が連動します。
合気の技を型ではなく、相手からの働き掛けに応じて、自由にバランスを変えられる身体を創っていけるように稽古しています。

依存によって変化が制限されることは、物事の学び方においても同様です。
西洋医学の勉強を進めると、西洋医学で説明できる範囲内で人体についての知識を得られます。
けれども、知識が増えるほど、自ら限界を作り、発想の幅を狭めてしまうことも起こり得ます。
外からほぐすことの出来る筋や、動かすことの出来る関節はアプローチの方法を探せても、それ以外の場所はお手上げになります。
それは、学ぶ対象が東洋医学に代わっても同じことが言えます。
理論的に考えたり、経験に当てはめる方向で勉強を進めていくと、物事を単純化してしまい、目の前で起きている現象を見逃すことになりかねません。
センタリング・メソッドを通して、施術を左右するのは、どの手技を使うかではなく、使う側の感性の問題だということを知ります。
そして、自分のコンディションや周りの環境など、治療そのものとは別物だと思っていた様々な要素が影響していることを体験します。

私がセンタリング・メソッドを学びたいと思った大きな理由が、師匠の考え方がとてもシンプルで楽しそうに思えたからです。
色々な知識や技術をツギハギするのではなく、自分の身体をベースに一貫性が生まれ、自分が感じられること、イメージできることは、何でも施術に活かせます。
身体をセンタリングしていく中で、自分が健康になり、施術の技術が高まり、生活や趣味に応用できます。
同じ学び続けるなら、幅を広げていくよりも、一つのことを突き詰めて深めていく方が、私の性にも合っていると思っています。
これからも、合気を通して身体の観察を深め続けていきたいと思っています。


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合気と施術 その2

   2021年02月03日

 

合気の稽古では、自分の心身の移り変わりを観察しながら稽古します。
片腕に抵抗を加えてもらって伸ばそうとするとき、右腕と左腕で力の通り方が違ったりします。
いくら伸ばそうとしても力がぶつかって伸びない時もあれば、拍子抜けするくらいスッと腕が伸びる時もあります。
そうした自分にとっての感覚の違いは、相手に合気が掛かるか掛からないかという違いとしてハッキリと現れます。
楽に動けたときのコンディションを身体が覚えていくことで、力が入っている状態を感じられるようになります。
すると、パートナーに技を掛けられる時も、相手のどこに力が入っているかを指摘できるようになります。

感覚を客観的に表現することは出来ませんが、主観と主観は共有できます。
仰向きで片脚ずつ持ち上げてみると、どちらかを重く感じることがあり、多くは相手の感覚とも一致します。
そして、施術によって重さが変化すると、実際に身体が軽くなり動きやすくなります。
呼吸が身体全体に伝わる状態では、力が抜けながら張りがあり、浮かびながら重みが落ち、双方向のバランスが両立します。
術者の身体をそうした状態に近付けることで、お互いの呼吸が同調してセンターに近付きます。
自分を浮かせることで相手も浮き、自分を弛めていくことで弛んで行く流れを導くことが出来ます。
身体が繋がることで、固いところは柔らかく、弛んでいるところは張りが、重いところは軽く、上がっているところは落とせるようになります。

人の感覚は、とても細やかに出来ています。
皮膚は細かい砂を識別できるほど繊細で、筋は僅かな動きを察知できるほど敏感です。
本来は変化を伝えてくれるセンサーが鈍ってしまうことで偏りが大きくなり、様々な不調を引き起こします。
鍼や灸のような小さな点からの刺激だからこそ、センタリング・タッチのような微細な動きだからこそ、その細やかな感覚を高められるのだと思います。
したがって、施術の技術を高めるには、その細やかさに見合うだけ自分の感覚を磨いていく必要があります。


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合気と施術 その1

   2021年01月31日

 

よく施術の前後に、お客様に姿勢のアドバイスをさせて頂いています。
足の向きや重心の位置を少し中央に近付けただけでも、「ずいぶん内股になっている気がする」「かなり重心が前にあるように感じる」と言われることがあります。
見た目にはほとんど変わらない僅かな差でも、自分の感覚では大きな変化に感じたりします。
往々にして、客観と主観の間には大きなズレがあります。
いくら客観的なデータでは改善していると主張しても、本人が変わらないと思っていれば、それは良くなったとは言えません。
反対に、他人から見れば気付かないくらいの変化であっても、自分にとっては世界の観え方が変わるくらい大きな出来事になることもあります。

仰向きに寝てもらったとき、身体が曲がっていたり、斜めになっていたりします。
自分が真っ直ぐだと思っている姿勢が真っ直ぐでないことは、よくあります。
いくら見た目だけ真っ直ぐにしても、真っ直ぐの感覚がズレたままだと、すぐに戻ってしまいます。
したがって、施術では、本人の感覚に働き掛けることが重要になります。
施術は筋や骨と言った実体のバランスだけでなく、感覚のバランスを整えているとも言えます。

お灸で身体の冷えている場所を温めると、身体が楽になります。
冷えきっていると、熱を感じにくいですが、徐々に感じられるようになっていきます。
冷えた部分を温めることで血流が改善して…といった説明もありますが、偏っていた温度の感覚が揃ったという見方も出来ます。
感覚の不調和は不安を生み、調和が取れているとホッとします。
身体の状態と精神状態はリンクしています。
固まっている場所が動くようになったときは、心の緊張も弛みます。
身体をスムーズに動かせるようになると、気持ちも軽くなります。
身体の感覚がクリアになると、意識も澄んでハッキリします。
重みが肚に落ちているときは、精神的にも落ち着きます。


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目の働き

   2020年08月12日

 

藤井棋聖が最年少でタイトルを獲得し、テレビでもネットでも将棋に関する話題をよく見かけます。
そもそも遊びである将棋や囲碁が、職業として成り立ち、これほどテレビで注目されることは、不思議にも思えます。
スポーツ観戦と同じように達人同士の対局を観ること自体の楽しさもありますが、そこにはゲームの世界の中だけで収まらない深みがあるからだと思います。
将棋も囲碁もルールはシンプルですが、長い間の試行錯誤によって、先手と後手のバランスが拮抗し、複雑な駆け引きが生まれました。
人の持つ能力の限界を極めると、どんなジャンルにも共通する奥深さが出来てくるのではないかと思います。

今年の4月頃、コロナウィルスの影響でNHK杯の対局が出来なくなっていたため、過去の名局が再放送されていました。
1988年当時、羽生さんの勢いは凄く、若手ながら当時のトップ棋士を相手に次々と勝ち進んでいきます。
そのときの羽生さんと加藤一二三さんの対局の中で、解説の米長邦雄さんが興味深いことを言っていました。
歳を取った棋士の方が将棋に掛けてきた時間は長いはずなのに、他の棋士と羽生さんは何が違うかという話で、それは「目」だと言っておられました。
その頃の羽生さんは、最近の雰囲気とは全く違い、盤面を鋭く睨みつけるように集中して観ておられました。
面白いのは、棋士は頭の中の盤や駒で先を読むため、実際に盤面を見ていなくても、対局できると言うことです。
盤面を真剣に見つめて指すことには、視覚によって情報を得るためではなく、対象に向かう集中力や思考の深さが表れているのだと思います。
年月を重ねる中で、羽生さんの対局中の目の使い方も、広く柔らかく変わっていったように思います。
藤井さんは、深く静かに見通しておられるようで、内面が外に表れにくいタイプだと思います。
棋士によって、俯いたり、斜め上を見たり、熟考しているときの目線だけでもそれぞれ個性があります。

合気の稽古でも、目の使い方の重要性を学びます。
それは、身体の向かう方向性や意識の集中の密度と深く関係しています。
向き合って相手の首の辺りを見ていたとしても、視点の奥行きをどこに置くかで力の伝わり方が全く変わってしまうことを経験します。
呼吸によって空気が出入りするのと同様に、目からも力が出入りする流れが生じます。
力を抜いて目を入り口にすることで、相手の力を自分の中へ落とし込む流れが起こります。
中心からの力が出口で止まらず、相手の身体の実体の向こう側まで見通していくことで、技が掛かります。
視覚によって情報を得ようとする働きは、そうした力の流れを妨げます。
一点への集中力を高めながらも、全体をぼんやり観ることを両立する重要性を学びます。
相手の実体を、目の見ようとする働きによって動くのではなく、身体に伝わってくる感覚を受け取ることで反応できるように稽古しています。

目に限らず、身体のそれぞれの場所に思っていた働きと異なる役割が備わっていることが沢山あります。
様々な体験を通じて、身体の奥深さを学んでいきたいと思います。


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心身の鍛錬

   2020年07月15日

 

武術は、心身の鍛錬だとよく言われます。
つらい稽古を乗り越えていく中で、心や体が鍛えられるというようなイメージを持つ方もおられるかも知れません。
私は、稽古をつらいと思ったことは無いので、そうした印象は持っていません。

師匠に合気を掛けて頂いたとき、それまでに経験してきた押し合いとは全く違う力に出会います。
押そうにも押せず、いつの間にかバランスを崩されて、投げ飛ばされます。
そのような現象が起こるということに驚きや不思議さを感じ、自分もそうした技を身に付けたいと思います。
そのためには、まず頭の切り替えを迫られます。
今まで慣れ親しんできた力の使い方を辞め、新たな発想で動作を見直す必要が生じます。
しかし、いざ自分で技を掛けようとすると、力を抜く、呼吸で動く、ということが、いかにも頼りなく思えます。
今までと同じ使い方をしても何も変わらないので、とりあえず真似をして動いてみます。
師匠や先輩方の御指導を通じて、条件が整えば、そのほうが楽に力が伝わることを経験します。
けれども、自分の姿勢が変わったり、相手の押し方が変わったりすると、また緊張して元の動きに戻ります。
道場の中だけでなく、生活や仕事を通じて、稽古で得た感覚を取り入れていきます。
そうした沢山の積み重ねを通して、頼りなく感じていた新たな力の出どころに対する信頼が少しずつ育ってきます。

稽古を続ける過程で、呼吸や動作が変わり、実力が付いてくるという側面もあります。
それに加えて、年月の間に積み重ねてきた自覚によってもたらされる力も大きいように思います。
自分が日々をどのように過ごしてきたかは、自分が一番よく分かります。
それは、いくら上手に指導されても、短期間の鍛錬では得られないものだと思います。
どんな状況でも技を掛けられるという心持ちは、どのような患者さんが来られても対応できるという安定感に繋がっていくのではないかと考えます。
十年以上、稽古を継続してこられた理由の根っこにあるのは、合気を通じて体験する身体の奥深さだと思います。
まだまだ分からないことだらけですが、自分が十年前より成長できたということは確信を持って言えます。
そうした方向に導いてくださっている師匠に、心より感謝しています。


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身体の内と外 その2

   2019年10月05日

 

施術で、そうした深部の動きを感じる方もおられれば、感じられない方もおられます。
自覚があるかどうかに関わらず、入力された感覚は脳に伝わり、身体の可能性を内側から広げてくれます。
深部の動きが充実すると、表層の筋を緊張させる必要が無くなり、身体の自由度が増します。
呼吸の深さや脈のペースも変わり、内臓の働きが高まります。
視覚や聴覚といった感覚の変化に気付かれる方もおられます。

深部の動きは、とても控え目で繊細です。
余計な力や意図が働いた途端に、関係性が途切れて、姿が見えなくなります。
合気の鍛錬は、身体に自然に備わった動きを自在にコントロール出来るようにするところにあるのだと考えます。
表層の動きで対抗し合うと単なる力比べになりますが、自分の深部の動きに沿うことで、相手を内側から動かしてバランスを崩します。
相手の掴み手に合わせて力を抜いていく過程を、深部の動きと一致させます。
その際、相手との間の遊びを無くして、一体としておく必要があります。
呼吸で身体を前後左右に広げ、右回り左回りの伝わりを確認します。
平面的な空間に螺旋が加わることで、立体になります。
動きの方向や速度は、丹田によって調節します。
押すばかり、引くばかりの一方通行では、動きが止まって固まります。
深部の動きが妨げられることなく伝わり、全身の中で押す動きと引く動きが並行して行われることで、バランスを変え続けることが出来ます。

現代の生活は、新しい脳で処理する仕事や、表層の動きで済ませる用事が大部分を占めます。
けれども、生命の根幹から離れては、身体を診ることは出来ないのではないかと思います。
これからも深部で起きている現象に目を向け、お客様の健康に役立てていきたいと考えています。



寒天好きの隠し通路
成長快調
私が妻の出産に立ち会ったときに書いた記事です。
観点を変えてみたい方はどうぞ。


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身体の内と外 その1

   2019年10月03日

 

重い物を持つとき、腕に力を込めて持ち上げようとします。
バランスが崩れそうになったとき、身体を緊張させて元の位置に留めようとします。
私達はいつの間にか、筋力を込めた方が強い、固めた方が安定する、といった身体の使い方が染み付いています。
合気の稽古で相手に技を掛ける中で、力が抜けた状態の強さを学びます。
脱力しているからこそ、全身が協調して働き、自在にバランスを変えることが出来ます。
合気の上達は、気付かない内に身に付けてきた様々な思い込みからの脱却でもあると思います。

お客様の身体に触れさせて頂くと、横になってじっとしてもらっている時でも、身体の深部から起こる動きを感じます。
あたかもアメーバのような単細胞の生物が形を変えていくように、ゆったりと動いている流れがあります。
それは、呼吸や循環や排泄といった生命の根源的な働きに基づく動きであるように感じています。
身体は空気が出入りし、全身に血液が送られ、食物が消化され、緊張と弛緩が繰り返されています。
そうした働きはあまりに自然に行なわれているため普段は認識することはありませんが、内部は常に変化し続けています。

施術では、そうした深部の動きを顕在化させる触媒となり、その働きが増幅するように誘導します。
なるべく深部の動きを妨げないように器のバランスを整え、心身共にリラックス出来るポジションに近付けます。
そこから、自分の深部の動きで触れることで、初めて深部の動きを導くことが出来ます。
手を触れる場所も動いていく方向も決めずに、身体に備わった動きが伸び伸びと働くように心掛けています。
触れたところからバランスが一方向に寄り切って転換するタイミングが、最も変化が起こりやすくなります。
日々の使い方で形成された癖の動きではなく、根源的な動きを高めるように導きます。

 

寒天好きの隠し通路
乗り潮
私が深部の動きに注目し始めた頃に書いた記事です。
関心を持たれた方は、こちらもお読みください。



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合気と感覚 その3

   2019年08月30日

 

多くの治療法は、その理論や技法に合わせて身体を使います。
編み出された先生にとってはベストな方法であっても、身体も感覚も違うため、同じことは出来ません。
場合によっては、施術をする度に自分の身体に負担を掛けてしまっていることもあります。
いくつもの治療法を使い分けようとすると、自分の中で統合していくことが、ますます困難になります。

センタリング・メソッドでは、合気がそのまま治療に使えることを教えて頂いています。
一般的には武術と治療は表裏一体という表現で語られることが多いですが、対比という印象はありません。
相手の中心を崩すか崩さないかの違いだけで、繋がりを誘導するという面で完全に共通しています。
自分のバランスを中心に近付けることで、相手を中心からずらして転ばせることも、中心に導いて整えることも出来るようになります。
自身の感性を磨くことが、患者さんを診る目を養い、施術の技術を高めることに直結します。
施術に合わせて身体を変えるのでは無く、自然な動作を身に付けることで、自ら治療を生み出せる身体を目標としています。

街中で集まって見える見えないと議論している星が、山から空を見上げると、いとも簡単に見えたりします。
医療の現場でも、そうした場面によく遭遇します。
自分の立ち位置が変われば、見える世界も変わります。
外から入ってくる情報を拠り所にするのではなく、感覚を元に外の世界を観るように立場を移します。
日々のどのような活動も、感覚の訓練の場とすることで、自分を健康に導くトレーニングや体操になり得ます。
感覚を信用できることは、そのまま自分への信頼に繋がります。
それは、身体の健康だけに留まらず、人生にも通じる転換になると考えています。


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合気と感覚 その2

   2019年08月27日

 

稽古で組み合うと、相手に技を掛けようとする欲が動作に表れます。
その途端に身体が緊張して動きが止まります。
そうしたときも、最初から相手に働き掛けようとするのでは無く、まず自分の身体の状態に目を向けます。
姿勢を正したり、肩の力を抜いたり、全体に意識を広げたりすることで、楽に技が掛かることを体験します。
合気では、自分の身体の状態が、相手に反映されて技になります。
したがって、技が掛からない原因は、相手ではなく、自分にあります。
稽古では、身体の緊張や重心の掛かり方、意識の広がり、心の持ちようなど、自分の現状を感じ取ることを重要視します。
緊張を感じられなければ力を抜くことが出来ず、意識が届いていない場所は認識することが出来ません。
自分の身体の感覚が及んでいる分だけ、相手の状態を感じられるようになります。

相手と向き合うことで感覚が磨かれるという点では、どのようなスポーツも同様だと思います。
ただ、スポーツには勝ち負けというハッキリした目標があるため、意識が外に向きやすいという側面があります。
合気の稽古でも技が掛かる、掛からないという結果は表れますが、それは目的ではありません。
技を掛けられる側も、力の通り道を作ってあげることが、自分の感覚の向上に繋がります。
稽古は、投げた投げられた、勝った負けたを競うものではなく、お互いが感覚を高め合っていく関係にあります。

何かの匂いに反応しても時間が経つと印象が薄れていくように、同じ刺激に対して感覚は順応して鈍くなります。
きれいに身体が繋がって動けたとしても、同じ経路を通そうとすると、感覚ではなく思考が先行して別の動きになります。
それと同様に、日々の行動も同じだと決めつけて同じことを繰り返していると、感覚が磨かれることはありません。
常に条件は変化しており、その違いを味わいながら、発想を固めずに取り組む姿勢が大切になります。
一つの原理から派生した枝は、どこから切り取っても幹に辿り着きます。
毎回、テーマや切り口を変えて、合気の稽古を付けてくださっています。




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合気と感覚 その1

   2019年08月23日

 

テレビをつけると、いくつものチャンネルで健康番組が放送されていることがあります。
本屋に行くと、体操やトレーニングの本だけでも、たくさんの種類があります。
情報が多すぎて、どれを信じたら良いのか分からないという話を聞くことがあります。

どんな健康法も、伝えている本人にとっては効果があったとしても、それが万人に当てはまるわけではありません。
一人一人、生まれ持った身体が違えば、生活の環境も違います。
そして、自分の身体も日々変化しています。
さらに、同じ運動を同じように教えられたからといって、同じ動きが出来ているとは限りません。
そうした一般化できないものを、形として伝えようとすると、どこかに無理が生じます。

各々に個性があっても、身体には共通する理に適った使い方があります。
合気の稽古では、そうした働きが自然に起こるような身体を目指します。
稽古を通して合気を掛けてもらう中で、様々な感覚を得られます。
腕を持たせてもらうと、脱力と共に緊張が溶けていったり、吸気と共に身体が包まれて浮き上がったり、伸びと共に力が駆け抜けたり、落下と共に突然に掴んでいる実感を見失ったりします。
微かに触れられるだけで、変化が全身に伝わってバランスが崩れたりします。
それは、単なる接触とは全くの別物です。
そのような現象が起こると言うことを実際に体感すると、新しい感覚や発想が呼び起こされ、それが自分の姿勢や動作を見直していく上での指針となります。
稽古で技を掛けるときも、形を真似するのでは無く、そうした体感を元に自分の身体の使い方や相手への力の伝わり方を検証します。


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