2018年2月
第二回 聞香の会 その5
昨日は、全五回の聞香の会の最後の回でした。
一炷目から香りの特徴が分かりやすく、緊張が弛んで姿勢が変わっていく様子を感じられました。
それぞれの個性豊かな香りを楽しみながら、身体に起きる変化も違っていることを感じられました。
必ずしも香りがハッキリしている方が反応が大きい訳でもなく、かすかな香りから身体が弛んでいくことを感じました。
また、聞き耳を立てるように感覚が高まり、その次の香木の香りを鮮明に感じられました。
聞香を通して、「自分の身体に聞く」ということを体感できたことは、とても大きな体験でした。
他にも、聞香に至るまでの準備に始まり、所作や心持ちなど、施術にも通じる多くのことを学ばせて頂きました。
Y先生、貴重な香木を提供してくださり、このような機会を与えて頂いたことに、心より感謝しております。
参加された皆様、同じ場で体験を共有できて楽しかったです。
本当にありがとうございました。
O
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合気の学び その3
合気道を通して学んだ体の使い方は、医療の世界においても大いに活かされることを実感しています。
例えば、現代医学の運動学では、筋を縮める働きによって、動作が起こるという原則があります。
そうした考え方を前提として、体の状態が判断され、マッサージや筋力トレーニングやストレッチといった治療が行われています。
けれども、患者さんが動作をする上での発想が変わらなければ、また同じ場所に負担を掛けたり、別の部位の痛みを引き起こすことになりかねません。
同じ動きの中で善し悪しを判断するのではなく、これしかないと思い込んでいる動作の発想を変えて可能性を広げていくほうが、患者さんの今後の生活にとって遥かに有用ではないかと思います。
合気の技では、体の力を抜くことによって動作が始まり、筋が伸びていくことで動きが続いていきます。
それは、力を入れて動作を行なう身体観とは全く別の発想で、そうした使い方もあり得るという観点は、身体を広い視野で診ていく上で重要ではないかと思います。
周りをよく見渡せば、古今東西で人体に関する深い洞察が行われ、様々な形で道標が遺されています。
そのような素晴らしい遺産が、教育や制度によって科学という枠に押し込められることで、覆い隠されてしまっているように感じます。
そうした枠に囚われず、合気を通して学ばせて頂いていることを、お客様の健康のために役立てていきたいと思います。
O
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合気の学び その2
合気の技では、相手を別物ではなく、自分の一部として捉えます。
相手の都合を受け入れるように力を抜くことで、一体として息を吐き、両者が脱力した状態に近付けます。
自分の中心を保ちながら、全体のバランスを変えることで、結果として相手が伸び上がっていくと合気上げになります。
お互いが一致した状態になると、相手の滞っている場所を感じられます。
それは、合気の技では相手のバランスを崩す弱点となり、施術では相手を弛める手掛かりとなります。
相手は人に限ったものではなく、道具を用いた場合でも同様に伝わることを学びます。
剣術では刀を使って身を守り、鍼術では鍼を持って治療します。
道具も自分の一部として扱うことで、その特徴を活かして力を発揮することが出来ます。
心や体の緊張は、相手との間に壁を作り、境界を生み出す要因となります。
自分という最小単位で心身のバランスを取れなければ、相手を含めたより広い繋がりには対応できないことを実感しています。
合気の学びが、武術に留まらず、思想や哲学にも通じる深みを内包しているように感じるのは、生命の持つ根源的な働きに根差したものだからではないかと考えます。
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合気の学び その1
合気の稽古をすることは、呼吸や動作の学びと同時に、発想を変えることであるように感じます。
合気道には、合気上げという技があります。
相手に両腕を押さえられた状態から、バランスを崩して転ばせます。
合気道を学び始めた頃は、肘を曲げたり、腕を上げたりというように、筋力で相手を動かそうとします。
けれども、相手の体重を腕の力で上げるのは無理だということに気付き、自分の身体に目を向けるようになります。
そして、呼吸の力を活かしたり、全身を協調して働かせることを学びます。
その過程で身体が変わる度に、身体観が変化していきます。
合気上げを掛ける側だけを主体として見ると、一方がもう一方を持ち上げているように見えます。
そうしたイメージの元、技を掛けようとすると、自分の力だけで相手を動かす必要があります。
自分の世界との関わり方に基づいて、動作が生まれます。
つまり、発想が変わらなければ、いつまで経っても、同じ動作を繰り返してしまうということが分かります。
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