2021年5月
合気を学ぶ
学校の勉強では、どの教科にもある程度、共通した学び方があります。
単元ごとの各論を深め、全体に通じる総論を理解していけるように、勉強が進められます。
そして、教科書に書かれている全容が把握できていれば、テストで出される問題に答えられるように作られています。
何かを突き詰めて学ぼうとするとき、そうした勉強との違いに気付きます。
合気の稽古で、師匠に技を見せてもらったり、掛けてもらったりしても、全容を知ることは出来ません。
それは、学ぶ内容が多いとか難解だと言うのとは少し意味合いが異なります。
合気の技の動き自体は、とてもシンプルです。
正座で向き合って、相手に押さえられた両腕を上げる合気上げをよく稽古します。
実際に行なってみると、どう頑張っても上がらず、シンプルな動きが、どれほどの多様性を持っているかを知ります。
腕を上げるという動作一つ取っても、動かす場所や動かし方によって、全く違った動きになります。
自分が体感できる範囲でしか、見ることも、動くことも出来ません。
いきなり全身は意識できないので、身体のそれぞれの部位に目を向けて指導して頂きます。
それによって、技が掛かるときと掛からないときの違いを体感します。
けれど、一時的に動きやすくなったとしても、全体が変わっているわけでは無いので、すぐに戻ってしまいます。
答えは、教えてくれる師匠でも合気の教本でもなく、自分の中にあります。
楽に動ける、呼吸がしやすい、気持ちが落ち着くと言った感覚の違いから分かる手掛かりを元に、身体の観察を続けます。
その積み重ねによって、少しずつ全体の条件を満たす総論を感じられるようになります。
総論が進歩することで各論も変わり、各論が深まることで総論が変わります。
それまで総論だと思っていたことが、いかに浅かったかを知る体験を数え切れないほどします。
けれど、その繰り返しによって、本質に近付いて行っていることを自覚でき、新しい世界を知る喜びを得ることが出来ます。
人が作ったものには終わりがありますが、自然には終わりがありません。
生命が変化しながら途方もなく続いているように、身体の観察にも終わりはありません。
日々の過ごし方や年月の積み重ねによって、感覚も思考も変わっていきます。
そうした変化を楽しみながら、合気を学び続けていきたいと思っています。
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鯉のぼり
今年も、夙川には鯉のぼりが吊られています。
川を見ていると、鴨が変わらず元気に泳いでいました。
人の世の中は色々ありますが、季節は巡り、自然は在り続けていますね。
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