2018年5月
丹田について その2
丹田は、動作の中心であると同時に、感覚の中心でもあります。
外部から自分に向けて情報が入ってくるということは、そこには流れが生じます。
ただ感覚を受け入れるだけなら一方通行ですが、その流れが呼吸と一致したものであれば、臨界点で方向が切り替わり、交流が起こります。
自分の都合を先行させず、お互いがぶつからないバランスを辿るように動くことが出来ると、結果的に合気の技になります。
「感じる」と「動く」の間の区別が無くなり、丹田で受け取ることで動きの生まれる身体を創れるように稽古しています。
丹田感覚は、武術だけに活かされる力ではなく、日常の生活においても大きな変化をもたらします。
現代の生活は、身体の上方にバランスが片寄りがちです。
日常で歩いたり身体を動かしたりすることは少なくなり、代わりに頭を使うことが増えます。
スマートフォンやパソコンを使っているとき、手先だけを酷使し、目には疲れが溜まります。
身の周りには情報が溢れ、関心が外へと向かい、自分の内への意識が薄れます。
身体の重心と同様、意識も上に上がっていると不安定になり、外界からの影響に振り回されやすくなります。
中心を取り戻せると、身体のバランスが取れ、全身を一体として動くことが出来ます。
それは動作の質を根本的に変え、自分のあらゆる行動に影響を及ぼします。
合気の技では、肩の力を抜いて相手の言い分を聞き、自分の中心を持ちながら、お互いがぶつからないように動きます。
そうした心持ちはそのまま、人間関係を円滑にすることにも通じるように思います。
常に自分の中に信頼できる中心が在ることは、周りがどのように移り変わっても、それに応じて生きていけるという安心感に繋がります。
丹田の感覚はすぐに生まれるものではなく、身体の外側の力が抜けていることが前提になります。
外側の力を抜くと、バランスを保つためにどこかに拠り所が必要になり、最終的に集約する場所が丹田ではないかと考えます。
力を抜くと言っても、何もせずに寝ていれば脱力できている訳ではありません。
人は、緊張と弛緩の釣り合いの中で力を発揮でき、本当の脱力を得られます。
座っているときも、立っているときも、運動しているときも、余分な力を抜くためには身体のバランスが大切になります。
様々に条件が変わっても、常にバランスを中央に近付けられるように、呼吸を基準として自分自身を見直します。
呼吸を観察することは、自分の内に目を向ける上での指針となります。
丹田は、それ自体の働きと共に、身体の感覚を深めていく過程に大きな意味があるような気がしています。
症状を改善するだけでなく、そうした身体の持つ素晴らしい力を感じて頂けるような、施術ができるようになりたいと思っています。
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丹田について その1
合気関連の記事で分かりにくい方もおられるかも知れませんので、「丹田」について書いてみたいと思います。
一般的に言われる丹田は、下腹部に位置するツボの名前を指します。
武術に限らず、多くの健康法や作法で重要視される場所ですが、どのように捉えるかによって動作の質は大きく変わります。
よく、動作の解説で「下腹部に力を込めて」とか、「腹圧を高めながら」といった表現を見かけます。
言葉通りに、腹筋に力を入れて腹部を固めてしまうと、それ以上は息を吸えなくなります。
実際に行なってみて、呼吸が通りにくくなる方法は、身体にとって不自然な動作だと考えます。
合気観照塾では、丹田を固定された点ではなく、「西江水」という捉え方でその働きを学んでいます。
稽古に参加し始めた頃、身体の力を発揮する上で骨盤の動きがいかに大切かを知り、そこを起点とするように動作を練習していました。
けれども、技を掛けておられる師匠の丹田を初めて触らせて頂いた時、もっと深いところから力が生まれていることに気付きました。
下腹部の奥に球のような存在を感じ、その働きが結果として骨盤など全身の動きに表れているように感じました。
それ以来、自分の身体の内部を意識しながら稽古するようになりました。
骨盤が締まるバランスで息を吐き、締めをキープしたまま息を吸って身体を張ることで、下腹部を充実させます。
そこから、さらに呼吸を吸い上げて、川の水が末端まで行き渡るように、四肢の先まで伝えます。
脱力して息を吐くことで、元の場所へ戻っていき、力は滞ることなく身体を循環します。
収束する中心を持ちながらも、一点に固執せずに、視野を全体に広げることの大切さを学びます。
丹田は、その時の身体のバランスに合わせて広がり、状況に応じて自由に変化できるようにしておくことが重要になります。
丹田の働きによって、自分の中心を保ったまま、相手の力を吸収して返したり、体勢を転じて受け流したり出来ます。
身体の中心に丹田が在り、身体の内側にその通り道が張り巡らされています。
「西江水」が働く身体が出来ていれば、全身のどこを押さえられたとしても、合気を掛けられるということになります。
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稽古メモ その3
【意念】
近付いてくる相手の距離感も含めて息を吐き、相手の後方の空間まで掬い上げるように息を吸う
相手の掴み手に対して、全体がふわっと膨らむように緊張させずに張り、真剣の鋭さを共存させて方向性を持たす
木刀を持っているときも、模擬刀や真剣をイメージすることで、伝わる力の細さや鋭さが変化する
能動的な動作や意識を先行させず、相手の中を観察する受動的な働きで、全体を把握しながら頚まで繋げる
指の先へ意識が通っていると、実際に触れていなくても、触れられているような感覚が伝わる
両目を寄せることで軸を細くして、後頭部で像を結ぶように目からも相手を吸い込む
相手に触れる前から吸い込んで力や意識の流れを作り、お互いの間で交流させることで相手に返す
相手の後方まで意識して息を吸い、イメージした通り道へ伝わるように、片足から反対側の手へと通して、遠くから力を伝達する
呼吸を相手の頚の向こう側まで通し、浮かせた両手から漏斗状に下ろすことで、中央へ集めて下まで落とす
中指で相手の瘂門の向こう側を突き刺して、その距離感を維持したまま、力を遠くから通して転ばせる
意念によって、後方の空間や地面の下まで呼吸の届く範囲を広げ、身体の幅より大きな落差を産み出す
身体を診る場合も、一ヶ所に拘らず、意識を広げて全体をうすらぼんやりと観ておく
頭の後ろに時計盤をイメージして、指定した時刻の方向に目を向けてもらうことで、目線や意識も手伝って繋がっていく
【総合】
石を置いても隙間から水が流れていくように、相手の止めようとする働き掛けにも逆らわず、新しい流れで動き続ければ結果として技になる
発想を固めずにその瞬間の感覚を受け取り、それに応じてどちらにも動くことができ、どこでも止められる身体を創っておく
芯を残したまま自分を弛め続けることで、最初から最後まで相手が力の入らない状態のまま崩す
相手をどうこうしようとせず、自分の力が抜けるようにセンタリングしている内に、相手の身体が繋がり、動けば崩せる状態まで導ける
相手と一致して初めて伸びる方向が現れ、どちらに転ばせるかは自分ではなく相手が決める
身勢が出来ると、物打ちに加えられた力が丹田と直結し、押されても引かれても、いつでも返せる
刀棒で相手の両腕に付け、一方から相手の中心に合わせ、その攻めを維持したまま、更にもう一方から入れる
どういう手技をするという形や、どう変えたいという欲を捨て、相手に合わせて自分を弛めていくことが施術になる
相手の後方から両肩に手を沿わせ、ただ相手の身体に起こっている揺れに付いていく
だんだんお互いの振動が増幅し合い、気持ち良く揺れながら、身体を弛めることが出来る
相手の持ち方によって入れるか抜くかは変わり、自分から働き掛けるのではなく、相手の働き掛けを受け入れ、その反作用で動く
そうした施術の風景も、主と客が入れ替われば、肩甲骨から相手に合気を通す技になる
先生の一人合気は、本当に相手が居るかのように技に掛かっておられた
自分の身体に合気が掛かっていく感覚があるからこそ、相手に合気を掛けられる
その時々の感覚と表れた結果の検証を積み重ねていくことで初めて、感性を深めていける
ゼロになったところから力を抜いたまま動ける方向に動くと、相手が転ぶ【技には形が無い】
今回、「稽古メモ」としてアップした記事は、今年の1月から4月の記録を元にしており、これでひとまず終了です。
また、メモが溜まってきたら、まとめてアップしたいと思います。
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