目の働き
藤井棋聖が最年少でタイトルを獲得し、テレビでもネットでも将棋に関する話題をよく見かけます。
そもそも遊びである将棋や囲碁が、職業として成り立ち、これほどテレビで注目されることは、不思議にも思えます。
スポーツ観戦と同じように達人同士の対局を観ること自体の楽しさもありますが、そこにはゲームの世界の中だけで収まらない深みがあるからだと思います。
将棋も囲碁もルールはシンプルですが、長い間の試行錯誤によって、先手と後手のバランスが拮抗し、複雑な駆け引きが生まれました。
人の持つ能力の限界を極めると、どんなジャンルにも共通する奥深さが出来てくるのではないかと思います。
今年の4月頃、コロナウィルスの影響でNHK杯の対局が出来なくなっていたため、過去の名局が再放送されていました。
1988年当時、羽生さんの勢いは凄く、若手ながら当時のトップ棋士を相手に次々と勝ち進んでいきます。
そのときの羽生さんと加藤一二三さんの対局の中で、解説の米長邦雄さんが興味深いことを言っていました。
歳を取った棋士の方が将棋に掛けてきた時間は長いはずなのに、他の棋士と羽生さんは何が違うかという話で、それは「目」だと言っておられました。
その頃の羽生さんは、最近の雰囲気とは全く違い、盤面を鋭く睨みつけるように集中して観ておられました。
面白いのは、棋士は頭の中の盤や駒で先を読むため、実際に盤面を見ていなくても、対局できると言うことです。
盤面を真剣に見つめて指すことには、視覚によって情報を得るためではなく、対象に向かう集中力や思考の深さが表れているのだと思います。
年月を重ねる中で、羽生さんの対局中の目の使い方も、広く柔らかく変わっていったように思います。
藤井さんは、深く静かに見通しておられるようで、内面が外に表れにくいタイプだと思います。
棋士によって、俯いたり、斜め上を見たり、熟考しているときの目線だけでもそれぞれ個性があります。
合気の稽古でも、目の使い方の重要性を学びます。
それは、身体の向かう方向性や意識の集中の密度と深く関係しています。
向き合って相手の首の辺りを見ていたとしても、視点の奥行きをどこに置くかで力の伝わり方が全く変わってしまうことを経験します。
呼吸によって空気が出入りするのと同様に、目からも力が出入りする流れが生じます。
力を抜いて目を入り口にすることで、相手の力を自分の中へ落とし込む流れが起こります。
中心からの力が出口で止まらず、相手の身体の実体の向こう側まで見通していくことで、技が掛かります。
視覚によって情報を得ようとする働きは、そうした力の流れを妨げます。
一点への集中力を高めながらも、全体をぼんやり観ることを両立する重要性を学びます。
相手の実体を、目の見ようとする働きによって動くのではなく、身体に伝わってくる感覚を受け取ることで反応できるように稽古しています。
目に限らず、身体のそれぞれの場所に思っていた働きと異なる役割が備わっていることが沢山あります。
様々な体験を通じて、身体の奥深さを学んでいきたいと思います。