私達が受け取っている情報は、事実をそのまま反映したものとは限りません。
例えば、新型コロナの話題を挙げても、ネットでは色々な方が自分の考えや体験を、ホームページで公開し、コメントしています。
それを見ると、テレビのコロナに対する報道がいかに一方に偏っているかに気付きます。
けれど、自分の分かる範囲で判断できることには限りがあります。
どれが正しい、間違っているではなく、ただそういう情報もあると言うことを、そのまま受け取って心に留めておくことが大切なのだと思います。
自分の身に起きたことや、周りから見聞きしたことも含め、多くの暫定が積み重なって自分の中に筋が通る仮説が浮かび上がってきます。
それは真実そのもので無くても、新たな情報を元に修正し続ける中で、かけ離れてもいないことを確かめられます。
同様のものの見方は、身体の観察に置いても成り立ちます。
私達の身体は、それまでの人生の過ごし方によって様々な偏りがあります。
そこから、別の可能性に気付くことが出来ると、変化する余地が生まれます。
そして、偏りを中央に近付けていった結果として、少しづつ軸が通ってきます。
新たな可能性も全て暫定で、正しいと思い込んだり、形を決めた途端に、柔軟に対応する力が失われます。
その時点のベストなバランスはあっても、条件は変わり続け、絶対ではありません。
動かない軸ではなく、常に揺れ動く軸だからこそ、自由に動くことが出来ます。
別の言葉で言い替えると、一貫性や適応力と言うことが出来ます。
いくら柔軟に周りに適応していても、一貫性が無ければ自分を見失います。
主義が一貫していても、適応力が無ければ社会で生きていくのが難しくなります。
それらが両立するところに、健やかに生きる道があるのでは無いかと考えます。
合気の稽古では、自分の軸を立てながら、相手からどのような負荷を受けても返せるように練習します。
多くの武器を使い分けるより、一つの武器をどんな状況にも対応できるように鍛え上げたほうが、技を磨くことに繋がります。
どのような世界でも極めた人の言葉からは、その分野だけでなく、哲学や思想にも通じる深みを感じます。
呼吸も、思考も、生き方も、同じベースの中に溶け込み、自分にとっての自然になるよう、暫定を積み重ねていきたいと思っています。
comment(0)
8月14日、15日は休業日とさせて頂きます。
よろしくお願いします。
comment(0)
長時間の車の運転で、腰や脚を痛められる方はよくおられます。
腰が落ちた姿勢で座っていると、重みが掛かっている場所で支える必要が生じて固まっていきます。
筋肉による足首の運動でアクセルを調節しようとすると、上げる時も下ろす時も筋力が必要になり、脚が休む暇もありません。
車の運転も、呼吸を活かすことが出来ると、楽にコントロールできます。
息を吸うときの連動で、股関節や足首が深まって足先が上がります。
吐きながら力を抜くと、足部が下がり、ペダルを踏むことが出来ます。
呼吸で股関節を締めたり弛めたりすることで、右脚のブレーキとアクセルの移動も出来ます。
呼吸による腹部の圧力のコントロールだけで、多様な動きが生まれます。
呼吸で動くためには、足部のシーソーの支点とペダルの沈み込むバランスが一致している必要があります。
呼吸で足先が上がったときにペダルが弛み、下りたときに適度に踏めるベストポジションに足を置きます。
腹部に息が入る角度に骨盤を傾け、背中を丸めずに背もたれに凭れます。
姿勢によって、どれだけ呼吸が反映されるかが決まってきます。
気が散っていたり、車間を詰めていたりすると、呼吸のペースで運転することは難しくなります。
俯瞰するような心待ちで、周りの状況に応じて動けるようにしておく必要があります。
車の運転に限らず、力を入れることで、動作を起こそうとすることはよくあります。
呼吸との関連が薄れるほど、外表の筋が働き、末端の負担が増えます。
力を抜いて呼吸で動けるようになると、楽に動作が出来るようになります。
それは、人や物との触れ合い方を一から見直し、自分の主体を中心に戻していくことでもあります。
comment(0)
今年も無事に終わりました!梅仕事。
梅酒を漬けてると毎回思い出すのが、長男の出産です。
朝に梅を洗って用意してたら、あっ!瓶がない!と気づき、それならponoの掃除がてら出かけて帰りに瓶を買おうと旦那様の提案に乗り夙川へ。(あっ、もちろん車で)
なんかえらいトイレ近いなーと思ってたら、帰りのスーパーで完全に破水し、でも瓶は買わなあかんから、それだけはなんとかゲット☆
陣痛になりかけながら、梅を瓶詰めしました(笑)
いや〜頑張った!
朝に洗ってたから絶対今日中にせな!とやりきりました。
次の日の朝、長男は無事産まれました。
あの時の酒は既に美味しく飲み尽くし、毎年新しいのが出来るのを楽しみにしている6月です。
N
comment(0)
学校の勉強では、どの教科にもある程度、共通した学び方があります。
単元ごとの各論を深め、全体に通じる総論を理解していけるように、勉強が進められます。
そして、教科書に書かれている全容が把握できていれば、テストで出される問題に答えられるように作られています。
何かを突き詰めて学ぼうとするとき、そうした勉強との違いに気付きます。
合気の稽古で、師匠に技を見せてもらったり、掛けてもらったりしても、全容を知ることは出来ません。
それは、学ぶ内容が多いとか難解だと言うのとは少し意味合いが異なります。
合気の技の動き自体は、とてもシンプルです。
正座で向き合って、相手に押さえられた両腕を上げる合気上げをよく稽古します。
実際に行なってみると、どう頑張っても上がらず、シンプルな動きが、どれほどの多様性を持っているかを知ります。
腕を上げるという動作一つ取っても、動かす場所や動かし方によって、全く違った動きになります。
自分が体感できる範囲でしか、見ることも、動くことも出来ません。
いきなり全身は意識できないので、身体のそれぞれの部位に目を向けて指導して頂きます。
それによって、技が掛かるときと掛からないときの違いを体感します。
けれど、一時的に動きやすくなったとしても、全体が変わっているわけでは無いので、すぐに戻ってしまいます。
答えは、教えてくれる師匠でも合気の教本でもなく、自分の中にあります。
楽に動ける、呼吸がしやすい、気持ちが落ち着くと言った感覚の違いから分かる手掛かりを元に、身体の観察を続けます。
その積み重ねによって、少しずつ全体の条件を満たす総論を感じられるようになります。
総論が進歩することで各論も変わり、各論が深まることで総論が変わります。
それまで総論だと思っていたことが、いかに浅かったかを知る体験を数え切れないほどします。
けれど、その繰り返しによって、本質に近付いて行っていることを自覚でき、新しい世界を知る喜びを得ることが出来ます。
人が作ったものには終わりがありますが、自然には終わりがありません。
生命が変化しながら途方もなく続いているように、身体の観察にも終わりはありません。
日々の過ごし方や年月の積み重ねによって、感覚も思考も変わっていきます。
そうした変化を楽しみながら、合気を学び続けていきたいと思っています。
comment(0)
今年も、夙川には鯉のぼりが吊られています。
川を見ていると、鴨が変わらず元気に泳いでいました。
人の世の中は色々ありますが、季節は巡り、自然は在り続けていますね。
O
comment(0)
2週間~3週間に一度施術していますが、
2回目3回目はあまり変化はみられず、
4回目で少し変化が見られました。
足首の固さと膝が内側に入りやすい傾向がありましたが、足首はほぐれやすくなってきています。
少しずつ足首も引き締まってきました。
運動をしている時、以前は右足を伸ばしたら足裏の引きつる感じの違和感が消えていたとおっしゃってました。
今後も施術と同時に、現状認識をしっかり行い、意識の改善、歩き方の改善に繋げていけたらと思います。
上の写真が初回、下の写真が四回目の施術後です。
N
comment(0)
今年も夙川では綺麗に桜が咲きました。
そして、おもしろい写真も撮れました。
さて、この桜に何が隠れているでしょうか?
正解は、シラサギの巣です。
あんな所に巣を作るんですね。
夙川はシラサギが多いです。公園に普通に立ってます(笑)
猫と一緒にいたり。
また、よかったら、どの樹に巣を作っていたか探してみてくださいね。
N
comment(0)
人には色々な欲求があります。
それには、身体から生み出される欲求と、頭で考えて起きる欲求があります。
例えば、空腹感を感じることでお腹がすいたことを自覚する時もあれば、食事の時間が来たから空腹感を自覚する時もあります。
意識を向けた先に、身体は反応します。
トイレに行きたくなくても、出掛ける前に済ませておこうと思うことで、尿意が高まったりします。
尿意が高まったからトイレに行くのとは、欲求の出どころが違います。
現代の生活では、身体の欲求にそのまま従うのは難しい場面がたくさんあります。
眠たくて仕方ないのに、それを抑えて用事をしなければならないこともあります。
けれども、あまり本来の欲求とのズレが増えていくと、不調を引き起こす原因になります。
同じようなことは、日々の行動にも当てはまります。
自分が本当にやりたいと望んでいることと、頭で考えてやっていることがあります。
やるべきことを出来たときは、例えそれが大変なことであっても、充実感があります。
頭で考えて楽な方に走ると、一時的に安らぐように感じても、満たされる感覚は生まれにくくなります。
自分の内から起こる欲求になるべく沿っていくことが、心身共に健康でいるために大切だなぁと思っています。
comment(0)
一緒に遊んでいると、小さな体のどこにそれほどエネルギーが蓄えられているのか感心します。
それを思うと、大人になるとそこまで使い切ること無く温存していることも多いように感じます。
それから、心臓の調子を見ながら、散歩するようにされているようです。
私達は疲れたときに休みたいと欲求が生まれるのと同じように、動きたいという欲求もあります。
comment(0)