丹田について その2
丹田は、動作の中心であると同時に、感覚の中心でもあります。
外部から自分に向けて情報が入ってくるということは、そこには流れが生じます。
ただ感覚を受け入れるだけなら一方通行ですが、その流れが呼吸と一致したものであれば、臨界点で方向が切り替わり、交流が起こります。
自分の都合を先行させず、お互いがぶつからないバランスを辿るように動くことが出来ると、結果的に合気の技になります。
「感じる」と「動く」の間の区別が無くなり、丹田で受け取ることで動きの生まれる身体を創れるように稽古しています。
丹田感覚は、武術だけに活かされる力ではなく、日常の生活においても大きな変化をもたらします。
現代の生活は、身体の上方にバランスが片寄りがちです。
日常で歩いたり身体を動かしたりすることは少なくなり、代わりに頭を使うことが増えます。
スマートフォンやパソコンを使っているとき、手先だけを酷使し、目には疲れが溜まります。
身の周りには情報が溢れ、関心が外へと向かい、自分の内への意識が薄れます。
身体の重心と同様、意識も上に上がっていると不安定になり、外界からの影響に振り回されやすくなります。
中心を取り戻せると、身体のバランスが取れ、全身を一体として動くことが出来ます。
それは動作の質を根本的に変え、自分のあらゆる行動に影響を及ぼします。
合気の技では、肩の力を抜いて相手の言い分を聞き、自分の中心を持ちながら、お互いがぶつからないように動きます。
そうした心持ちはそのまま、人間関係を円滑にすることにも通じるように思います。
常に自分の中に信頼できる中心が在ることは、周りがどのように移り変わっても、それに応じて生きていけるという安心感に繋がります。
丹田の感覚はすぐに生まれるものではなく、身体の外側の力が抜けていることが前提になります。
外側の力を抜くと、バランスを保つためにどこかに拠り所が必要になり、最終的に集約する場所が丹田ではないかと考えます。
力を抜くと言っても、何もせずに寝ていれば脱力できている訳ではありません。
人は、緊張と弛緩の釣り合いの中で力を発揮でき、本当の脱力を得られます。
座っているときも、立っているときも、運動しているときも、余分な力を抜くためには身体のバランスが大切になります。
様々に条件が変わっても、常にバランスを中央に近付けられるように、呼吸を基準として自分自身を見直します。
呼吸を観察することは、自分の内に目を向ける上での指針となります。
丹田は、それ自体の働きと共に、身体の感覚を深めていく過程に大きな意味があるような気がしています。
症状を改善するだけでなく、そうした身体の持つ素晴らしい力を感じて頂けるような、施術ができるようになりたいと思っています。