中心とは その2
私達は、一人で完結しているわけではなく、常に外界や他者との関わり合いの中で生きています。
合気の稽古を通して、いかに他者とぶつからずに関わるかを学びます。
相手に手首を押さえられると手首に、腕を掴まれると腕に、力が入ってしまうことを自覚します。
そして、力で対抗しようとしてもどうしようもない状況を体験し、力を抜くことの大切さを知ります。
相手と接している場所で直接戦わなくても、動ける場所はたくさんあることに気付きます。
身体の表層を押さえ付けられたとしても、深層は自由に動かすことが出来ます。
自分の内面に意識を向け、今まで使えていなかった場所を発見していきます。
そして、余分な動きを減らしていくことで、次第に動作の幅が細くなっていきます。
脚の内側や骨盤の隙間や体幹の中央を力が通り、中心の動きが指先まで伝わります。
相手に触れたり、道具を持ったりすると、自分のバランスも変わり、全体としての中心が生まれます。
いくら動かそうとしても動かなかったものが、自分を通り道として両者の中心から動かせると、驚くほど楽に相手を転ばせられることを体験します。
相手や状況がどのように変わっても、中心をもって対応できる身体を創っていくために、稽古に参加しています。
そうした中心の感覚や身体の繋がりは、自得していくしか無いことを実感します。
稽古では毎回、注目する切り口や用いる道具が異なり、視点を変えながら取り組みます。
技を掛けているとき、力が入って固まっている場所や、意識が薄く働いていない場所に、手を加えてくださいます。
そうした様々な観点は、原理から派生して結果的に生まれるのであって、身体のベースは自分以外の誰にも創ることは出来ません。
自分が体感して初めて、師匠が、体験として、言葉として、文章として、錬功法として、あらゆる方法をもって伝えてくださっていたことに気付きます。